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キリスト教の終活とは?考え方と実践方法
2023.02.04
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「キリスト教における終活とはどのようなものか?」
「キリスト教の死生観ってどのようなものなの?」
このようなお悩みを抱えている方も多いでしょう。
キリスト教における終活には仏教と様々な違いがあります。
その違いをキリスト教における死生観の解説を通しながら、当記事では解説していきます。
キリスト教における終活とはどのようなものか
キリスト教における終活とはどのようなものなのでしょうか。
この考えを紐解いていくために、以下の項目を確認していきます。
・そもそも終活とは何か
・キリスト教における死生観
・メメント・モリという教え
キリスト教における終活を理解するためには、終活の定義や死生観などの根本的な点を確認するのが一番の近道です。
以下では、これらの点について詳しく解説していきます。
そもそも終活とは何か
キリスト教と関係なくそもそも終活とは何かという観点をお伝えすると、次のようになります。
自身の逝去に向かって「どう生きるか」を考えること。
終活という言葉自体が最近できた言葉ですし、他の定義もありますが当社ではこのように考えています。
終活というと遺産相続の話であったり、死後事務委任契約の話であったりと「死」に対するワードが並びがちですが、本質的には「今後の余生をどのように生きるか」を考えることで「以前よりもよりよく生きていくために終活をするんだ!」と目標を持つことであると考えてみましょう。
キリスト教における死生観
終活の定義がわかったところで、次に確認していくのは死生観です。
というのも、キリスト教における死生観と私たち日本人が思う死生観とは違いがあるからです。
たとえば、仏教を信仰しているご家庭では、死を嘆き悲しむものであると考えられてはいないでしょうか。
逆にキリスト教では、死は新たな旅立ちを意味しており葬儀も華やかな雰囲気のなか執り行われます。
死、つまり人生のエンディングをどのようにしたいのかは、信仰する宗教によって大きく異なるため、あなた自身の死生観とあわせて確認してみましょう。
先ほどお伝えした終活を行う上で、どのように生きたいのかという考えと照らし合わせると、あなたにあった宗教を選択できます。
メメント・モリという教え
キリスト教において「余生をどのように過ごすか」を考える上で、メメント・モリという考え方は大きな指針となるでしょう。
旧約聖書から引用すると次の言葉があります。
私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。
引用元:詩篇90:10
また、詩篇の続きには次の言葉もあります。
われらにおのが日を数えることを教えて、 知恵の心を得させてください。
引用元:詩篇90:12
これらの言葉が意味するところは、メメント・モリ(死を覚えよ)という言葉に集約されます。
生きていく上で様々な労苦はありますし、大切な誰かが亡くなるといった空虚感を覚えることもあるでしょう。
こういった様々な感情を抱いて、自分自身も死に向かっていくことを自覚することで、「今後どう生きるか」を意識できるようになります。
もちろん旧約・新約聖書の考え方は人それぞれあるので、一概にメメント・モリが上記のように解釈すると考える必要はありません。
しかし、あなた自身がどう生きるかを終活を通して考えていくということは、余生を過ごす上でとても大切になってくるでしょう。
キリスト教を信仰し終活するために必要なステップ
ここまでキリスト教における終活について解説してきました。
ここからはキリスト教を信仰し終活するために必要なステップを解説していきます。
具体的な内容は次のとおりです。
1.ゴールを定めエンディングノートを作成する
2.毎月の計画を立てる
3.今後どのように生きたいかを考える
それぞれ解説していきます。
STEP①ゴールを定めエンディングノートを作成する
終活するためのステップの一つ目はエンディングノートを作成することです。
エンディングノートとは、逝去までの計画をどのような形でもいいので記述したもので、次のような内容を考え計画を立てていきます。
・財産の整理を考える
・友人関係の棚卸しをする
・死後事務委任契約や生前契約を考える
エンディングノートでは、あなたが思い描く余生を考えるとともに、普遍的な終活に必要な事項も押さえていきましょう。
それぞれの項目について解説します。
財産の整理を考える
エンディングノートを記述する上で考えるべき一つ目の事項は、財産の整理です。
財産といっても数は多く、金銭から有価証券、不動産など価値あるものは複数あります。
これらの財産を遺族にどのような分配をするのか公平に決めておくと、将来に遺恨を残すことはないでしょう。
友人関係の棚卸しをする
続いては友人関係の棚卸しです。
棚卸しというと少し言葉が悪いので、今後の自身にとって付き合いを継続すべきかどうかを意識する友人という言葉に言い換えてもいいでしょう。
たとえば、会社関係でしかない友人と連絡を取り合ったり、以前に騙されたことのある友人と未だに連絡をしていたりしないでしょうか。
あなたに悪影響を及ぼす友人関係だと判断できる場合には、徐々に連絡の頻度を落としながら自然消滅させてもいいでしょう。
死後事務委任契約や生前契約を考える
あなたの終活にあまりご家族が関われない、おひとり様の終活になる場合には、死後事務委任契約や生前契約を考えておく必要があります。
これらの契約はあなたの死後に何事もなく葬儀を行ってもらうために必要な契約であり、他人に迷惑をかけないために行うものであると考えておくといいでしょう。
仮におひとり様の終活となるようであれば、次の記事が参考になるのでぜひ見てみてください。
STEP②毎月の計画を立てる
ステップの二つ目として、エンディングノートで長期的な計画を立てたら毎月の計画を何かしらのノートで立てていきましょう。
1年間の行動計画を先に立ててから、毎月の計画を立てても構いません。
ただ、仕事のように長期計画を立て、短期の計画を作り評価していくというのは、実生活においてストレスを抱えてしまう原因にもなるので、最初のスタートはゆっくりで十分です。
「〇〇ができていないから、今月しておこう」このように考えると長期的に終活に向き合えるでしょう。
急すぎる終活は息切れのもとになってしまうので注意してください。
STEP③今後どのように生きたいかを考える
最後のステップは今後どのように生きたいかを考えることです。
冒頭部分でもお伝えしたように、終活はどのように生きたいかを考えるのも大切な役割です。
エンディングノートを書き、終活で行うべきことを棚卸ししたら、余生の生き方を模索してみるのがベストでしょう。
キリスト教の教えや仏教の教えを聞きながら、過去の人の知恵を借りつつ、あなた自身で考えてみるのが一番です。
この点に関して、キリスト教の死生観をまとめた記事があるので参考にしてみてください。
終活をするにあたって最適な年齢とはいつか
終活を行う上で最も疑問に思われるのは最適な年齢がいつかによるものです。
当社では50代からの終活をベストな時期としていますが、他の年齢についても早すぎる・遅すぎるということはありません。
終活を考え始める3つの年代について以下では解説していきます。
ちなみい各年齢層における終活時期については、以下の記事で詳しく解説しているので参考にしてみてください。
40代から終活をする考え方
40代から終活をするとなると、「少し早いのではないか?」と心配になる方も多いでしょう。
しかし、40代からの終活で早すぎるということはなく、逆におひとり様での終活になると定年退職まで20年程度あることから、準備期間として最適な年齢層となります。
もちろん、夫婦揃っての終活となれば少し早い可能性もありますが、資産形成だけをとりあえずやってみるといったご家庭にはおすすめの時期です。
50代から終活をする考え方
繰り返しになりますが、終活をするには50代からが当社が考えるベストな時期です。
定年退職までに10年程度の時間的余裕がありますし、仕事も充実している状態でしょう。
もちろん定年退職後も再雇用で働く方もいらっしゃるので、「早すぎないか?」と疑問に思われる方もいるはずです。
しかし、体調の急変など様々な健康リスクを50代の方は抱えているため、少しずつ考え始めることをスタートしてみて下さい。
60代から終活をする考え方
最後に一般的な終活スタート時期として、60代からスタートする考え方も紹介しておきます。
2022年現時点で60代は定年退職を迎える時期です。
定年退職を迎えるのであれば、それから終活を考えてみてもいいだろうと思う方も多いでしょう。
ただ、定年退職から再雇用で働かなければならないと判断するときには、今後の資産計画もきちんと立てておかなければなりません。
ですから、60代といえど終活を意識するのは前半くらいからと考えておくといいでしょう。
キリスト教における終活とは
キリスト教における終活とは、エンディングに向かってどう生きるかを考えることです。
冒頭でお伝えしたように、キリスト教の死生観では死を新しい旅立ちだと考えています。
そのため、仏教のように死に向かっていくことを嘆き悲しむのではなく、当然あるものとして受け入れて、いかに余生を過ごしていくかが問われると考えていいでしょう。
もちろんキリスト教を信仰している方のなかには、死を悼み悲しむ方もいます。
ただ、これもキリスト教では当然のことであり、その感情と向き合うことが大切であると教えられているとお伝えしました。
このように、キリスト教における終活とは人間の生死をきちんと考え、受け入れていくことであるといえるでしょう。